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佐久間 俊忍 Toshinobu Sakuma

1980年2月13日 東京生まれ。

三姉妹の末っ子の長男。

水瓶座 A型 申年。

親戚のなかでも大人しく、

1人で遊ぶのも好きであった。

また多摩ニュータウンの開発の時期に育つ。

小学校1年生までは、

昆虫や甲殻類や魚が好きで、

川や森や湖で遊んでいた。

家族や知り合いとのキャンプが大好きだった。

 

私の純粋な青春は、ここでおわる。

 

以後、左脳より右脳が発達してたため、

社会のなかで他者に合わせながら、

他者の知能に委ね、他者に流されながらも、

常にほんとうの自分を檻に閉じ込め、

楽しむように流され、

恋愛も経験したり、

不思議と、お友達は多くいて、

誰よりも様々なグループを渡り合い、

時に怒り、傷つけられ、時に傷つけ、泣き、

社会との狭間で簡潔な理性と本能と勘で生きる。

 

動物が好きで動物にも支えられて。

(インコ、雀、鳩、こうもり、猫、うさぎさん等)

 

 

それから成人になり、社会人になり、

21歳の時に、

カリスマ美容師さんとの熱意の差を強く実感し、

いままで流されて生きてきて、

自分は人生で何をしたいのか深く考えさせられる。

人生で初めて現実に目が覚めて、

深く考え直して、

 

まず、

いままでの自分の好きなことをイメージして、

サッカーを一所懸命にやってるときに、

出てくるパスやゴールの発想、

イメージを現実化させた瞬間、

ヘアメイクを一所懸命にやったときの、

撮ったお写真、

落書きの漫画や色鉛筆の絵を、

何度もみる異常な達成感、

それらの自分のインスピレーションが、

半永久的に残るのは、

 

自分のイメージの絵だという結論に至り、

 

いつ野垂れ死んでも良いからと制作を始める。

 

小学生2年生からゲームにハマった、

ドットの画像に青春を支配されたものが、

制作の基本になる。

 

様々な影響を受けた、テレビ、パソコン、

スマホの画像(画素)がモチーフになっている。

 

30歳までのお仕事は、

引っ越し屋さんの助手、お花屋さんの梱包、

コンビニの店員、ファミレスのお皿洗い、

C 級イタリアンレストランの調理、

カフェのホール、学童保育の指導員、

日雇いのアルバイトで様々な場所に行き、

働かせて頂き、

村上隆さんのカイカイキキ様でも働かせて頂き、

とにかくすぐ飽きるが、

色んなお仕事を短かったり数年働いたりして、

経験したいという欲求にしたがっていた。

 

また、病気のことであるが、

2006年、3年同棲した彼女と別れ絶望し、

お酒に溺れ、

それからしばらくして、

人生で最も理想的な片思いをし、

両想いだったが、

タイミングがすれ違い付き合えず、

ひどく落ち込み、

社会で仕事でたまにミスがあり、

制作で混沌としたなか好きでもない同僚を、

好きになった気がして、

振ってくれないかと告白し多大な迷惑を掛け、

後悔し、ひどく落ち込み、

生きがいだった自信のあった絵の作品も、

大切過ぎて手放すのが嫌で、

NICHE GALLERY(銀座)の常設展で、

絵を売らず、

師でもあるオーナーに、

お世話になった恩返しをすることでもあったのに、

お付き合いを断られ、

現実的な制作活動をするように厳しくご教示され、

ひどく落ち込み、

この世のあらゆることを経験して、

善悪を判断したいという好奇心から、

反社会的なことも経験し、痛い目にあい、

EMINEMのMVに、憧れと、スタイルを求め、

スターに憧れたが、個人的に、

HIPHOP自体が僕が生活する日本社会とは合わず、

 

 

全てが空回りになり、心が苦しくなり、

世の中で生きることをもう終わらせたいという、

絶望から、

2009年29歳の時に突然薬物自殺を図り、

急性腎不全になり、薬物療法で一命を救われる。

 

 

 

その後、

指定給水装置工事事業者の見習いを、

させて頂いたり、

北海道の農家様でアルバイトさせて頂いたり、

NPOでニート支援の事務補助を、

させて頂いたりして、

2011年に調理師になり、

転々と色んな系統のレストランや、

カフェや病院や老人ホームで調理をさせて頂くが、

同棲して、数ヶ月で、フラレたりもして、

また生活資金に困り、

調理で独立するために融資を求め、

副業でホストクラブのアルバイトを、

数ヶ月して融資してくれる方に出会ったが、

求める場所ではなかったため諦め、

またレストランで調理しているときに、

突然、お肉やお魚をさばくのに、

気持ちが悪くなり、

お肉が食べられなくなりヴィーガン、

ベジタリアンになり、

(現在はフレキシタリアンです。)

街を歩いたり、

スーパーへ行くのが地獄のように感じ、

被害妄想が増え、

 

 

2013年33歳で、統合失調症を発症。

 

数ヶ月生活保護を受ける。

以後、実家に帰り、働きながら、症状が悪化し、

非定型精神病

(統合失調症と躁鬱病とてんかんの要素がある病気)

になり、非定型精神病による人格の乱れから、

多動性障害、自閉、感情平板化、失読症、

思考途絶になり、認知機能低下(重度)

テレビに興味がなくなり、

文章が理解できなくなる。

(右脳で感覚的に読むこと話すことはできる)

現在は、

学童保育の指導員や動物園の清掃を、

させて頂いてから、

大きな企業のグループの障害者雇用で、

パート社員のビルメンテナンスの、

環境衛生管理業務の清掃管理業務の一員として、

ビルの清掃の仕事をさせて頂き、

社会では人に合わせて生き抜くようになる

(人に合わせるのは流されるのは、

20歳までの経験から、

本能的に得意であったので。)。

 

基本的には、部屋に籠もり、何もしたくなく、

植物人間みたいで、心地よい感覚がなく辛く、

時に世界情勢、世界中の野生動物や経済動物や、

植物や花や木や昆虫や甲殻類やお魚さんのことを、

感じ想うと、

死にたいが、

西村富彌氏の自己表現の教えを本能で思い出し、

世界一才能がなくても病気から逃れるために、

制作をして、

ほんの小さな達成感を生きる目的にし、

こんにちまで至る。

時に不思議といままでの経験上人に会うと、

基本的には躁になるが、

家にいると基本的には鬱になる。

頭のなかは無。

社会のなかに入るとぐるぐる思考で、

くるくるしていて、

やっと家で絵を描くことができたりして、

絵が波にのるとささやかな喜びと、

その絵を観てほしい欲求に大いに駆られるが、

結局、誰もそこまで観てくれず、

シュンとなります。

 

そして、2021年、

41歳の時にNICHE GALLERY(銀座)の、

オーナー西村富彌氏と再会し、

現実的な制作活動を認められ、

和田画廊(銀座)のオーナーの、

和田卓也氏に絵を紹介して頂き、

個展を同時開催し、

画家としてのキャリアを再び再開することになる。

キャリア

2000年 青山の美容院で一流の美意識を経験する

2001年 独学で制作をはじめる

生活のための仕事は多岐に渡る

2007年 NICHE GALLERY(銀座) グループ展

2008年 NICHE GALLERY(銀座) 常設展

2009年 活動休止 社会で多岐に渡る仕事を経験する

2020年 制作活動 復帰

2021年 NICHE GALLERY(銀座) 個展

2021年 和田画廊(銀座) 個展

アートのマーケットプレイス または 展示会

2021年 美術手帖 oil

2022年 GINZA SIX 展示会

アートフェア

2022年 3331 ART FAIR

 

 

 

 

 

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